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2014年08月28日

ロズベルグ「ブーイングしたファンの気持ちを尊重する」

2014年F1ベルギーGPの日曜決勝で、メルセデスのニコ・ロズベルグは2位を獲得した。
ニコ・ロズベルグ 決勝=2位
「きついレースだった。今日は勝てる速さがあったのに事故によって勝利を逃した。チームにとっていい一日ではなかったから、とてもがっかりしている」
「僕らドライバーはファンを楽しませ、素晴らしい時間を提供するためにここに来ている。だからこそ僕らは限界ぎりぎりのバトルをするんだ」
「ルイスと僕が接触したのは残念だけど、僕としてはあれはレーシングインシデントだと考えている。スチュワードもそう判断した。ストレートでは僕の方が速く、イン側のラインはブロックされていたからアウト側に行った。追い抜きを試みたが、接触し、フロントウイングがダメージを受けたことが分かり、終わったと思った。その直後にルイスにも問題が起きたことが分かった。彼にとってもチームにとっても本当に不運だった」
「レース直後にミーティングをしたけれど、今日のようなレースを繰り返さないため、さらに何度かミーティングの機会が設けられる予定だ」
「(表彰台で観客からブーイングを受けたことに関しては)イギリスのファンたちは不満だろうし、彼らの意見は尊重する。だからいい気分ではないことは確かだ」


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2014年08月26日

リカルド「自分たちも驚く速さで優勝をつかんだ」レッドブル

2014年F1ベルギーGPの日曜決勝で、レッドブル・レーシングのダニエル・リカルドは優勝を獲得した。
ダニエル・リカルド 決勝=1位
「ここで僕らにチャンスはないと誰もが言っていた。でも今日はとてもいいペースで走ることができて自分たちも驚いている。現実でないように感じるけれど、また優勝できたことはものすごく嬉しい」
「タイヤを最後まで持たせて走るのは簡単ではなかった。トップを走っていると、ピットストップをするかしないかという時に一番懸念を感じる。でもエンジニアのサイモンから無線で「残り11周だけどこのタイヤで最後まで行けるか?」と聞かれた時、僕は「だいたい今のペースを保てると思うよ」と答え、そのとおりのことができた。ファイナルラップではさらにコンマ数秒縮めることができて楽しめたよ!」
「今日の勝利にはたくさん素晴らしい要素がある。これまでの2回の優勝は比較的アグレッシブなスタイルのレースによってもたらされたものだったけれど、今日はより計画的に勝利を手に入れた。異なる状況で勝てたのは素晴らしいことだよ」
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2014年08月21日

トロロッソ フェルスタッペンを2015年のレースドライバーに起用

トロロッソは、レッドブルジュニアチームに加入したばかりのマックス・フェルスタッペンを2015年のレースドライバーに起用することを発表した。彼は、ジャン・エリック・ヴェルニュに替わって17歳という史上最年少でF1デビューを果たし、ダニール・クビアトとコンビを組むことになる。
元F1ドライバーのヨス・フェルスタッペンの息子であるマックスは今年、カートからステップアップして初めてのフォーミュラカーレースとなるヨーロピアンF3に参戦。シーズン前半戦で8勝を挙げ、チャンピオンシップで2位につけている。
彼は先週、レッドブルの育成プログラムへの加入が決まったばかりで、来年の開幕戦でハイメ・アルグエルスアリが持つF1史上最年少デビュー記録を破る予定だ。
「まず、僕を信頼し、2015年にトロロッソからF1デビューを果たすチャンスをくれたヘルムート・マルコとレッドブルに感謝したい」と、フェルスタッペンは語った。
「7歳の頃からF1は僕のキャリアの目標だったから、今回の機会で本当に夢が叶ったよ」
「フェルスタッペンの名前がF1に復活することになるから、古い記憶を蘇らせて大勢のファンとグランプリサーキットで会えるのを楽しみにしているよ」
トロロッソ代表のフランツ・トストは次のように述べている。
「マックスをトロロッソファミリーに迎え入れることを嬉しく思う。マックスは最も熟練した新世代の若手ドライバーの1人であり、今回の挑戦を成功させるために必要な完成度と精神的強さが彼にあると信じている」
「今年、彼はいかに上手く難しいコンディションに対応できるかをすでに示している。レッドブルジュニアチームからF1に若き才能を輩出し、彼らを教育することがトロロッソの目的であることを考えると、F1キャリアを最高な形でスタートできるようにマックスにコンペティティブなクルマを提供できるか否かは我々次第になるだろう」
トストはまた、今シーズン限りでチームを去ることになったヴェルニュに感謝の意を表している。
「それを踏まえて、ジャン・エリック・ヴェルニュにも努力を感謝したい。彼は力強いパフォーマンスを発揮したが、残念ながら特に今シーズン前半戦で信頼性の問題に邪魔されてしまった。彼がこれらの問題を解決し、シーズン後半戦をいい形で終えられることを期待している。それによって彼がF1で別のチャンスを得るにふさわしいことを証明することを願っている」
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2014年08月20日

可夢偉シート喪失、ケータハムが日本で活躍のロッテラー起用を発表

 ケータハムF1チームは20日、今週末のベルギーGPで日本人ドライバーの小林可夢偉に代えてアンドレ・ロッテラーをレースドライバーに起用することを明らかにした。
 今シーズン、アウディのワークスドライバーとしてWEC(世界耐久選手権)に参戦するとともに日本のスーパーフォーミュラにもシリーズ参戦しているロッテラーは、今週末(8月22日〜24日)にスパ・フランコルシャンで開かれるF1ベルギーGPでレギュラードライバーの小林可夢偉に代わってケータハムCT05をドライブすることになった。
 この日発表されたケータハムの声明には、ベルギーGPの週末でロッテラーがマーカス・エリクソンとともにケータハムCT05のステアリングを握ることが記されている。ただ、ロッテラーが次のイタリアGP以降もチームに留まるのかは定かではなく、現時点ではベルギーだけのスポット参戦になる見込みだ。
 一方、今回ロッテラーにシートを奪われることになった小林可夢偉については「今もチームの一員である」と述べられており、今後の復帰に含みを持たせている。
 なお、ベルギーGPと同じ週末には、日本のスーパーフォーミュラもツインリンクもてぎで第4戦が開催されるが、現在、中嶋一貴に3.5ポイント差でランキング2位につけるPETRONAS TEAM TOM’Sのロッテラーはこのレースを欠場することに。すでにツインリンクもてぎから発表されている最新のエントリーリストには、ロッテラーの36号車にアンドレア・カルダレッリの名前が記されている。
 ロッテラーは、2000年から2002年にかけてレッドブルの前身であるジャガー・レーシングのテストドライバーおよびリザーブドライバーを務めた経験を持っている。
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2014年08月19日

スーパーフォーミュラ第4戦もてぎのエントリーからロッテラー消える。F1発表秒読みか

19日、ツインリンクもてぎは週末に開催される全日本選手権スーパーフォーミュラ第4戦『MOTEGI 2&4 RACE』について、エントリーリストを更新した。F1ケータハムからベルギーGP参戦が噂されるアンドレ・ロッテラーの名が消え、代わってアンドレア・カルダレッリの名が入れられている。
 8月23日〜24日に開催されるスーパーフォーミュラ第4戦は、ル・マン24時間の負傷から復帰となるロイック・デュバル(KYGNUS SUNOCO)が復帰となり、第2戦以来ひさびさに外国人ドライバーがレギュラー参戦しているドライバーに戻る予定だった。
 しかし、ここへ来て同じスケジュールで開催されるF1ベルギーGPに、ケータハムF1チームから小林可夢偉に代わってロッテラーが出場するのではないかという噂が浮上。今回発表されたエントリーリスト(http://www.twinring.jp/2and4/entrylist/index.html)は、それを裏付ける形となった。カルダレッリは前戦富士でデュバルの代役として出場しており、ポールポジション獲得という偉業を達成している。
 ロッテラーのF1参戦について、F1ジャーナリストのアダム・クーパーは自身のブログで、本来今日(19日)中に行われる予定だった正式発表が、スーパーライセンス発給のための書類の遅れで20日にずれこんでいるとしながらも、すでに契約の準備は整い、ゼッケンは32になると明らかにしている。
 また、クーパーはロッテラーとケータハムの契約は、ベルギーGPの1戦のみであるとしているものの、その後の可夢偉の動向については不透明であるとしている。
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2014年08月12日

バトン(マクラーレン)、最悪今季で現役引退も

今季末でマクラーレン・チームとの契約が満了するとされるジェンソン・バトン(34歳:イギリス)だが、来年以降についてはまだ何も伝えられていない。
チームメイトであるケビン・マグヌッセンについても同様で、来季ホンダ製のパワーユニットに切り換える同チームは体制を一新させるのでは、との見方も強い。
これについてバトン本人は「F1以外のカテゴリーはまったく考えてない」としていて、万一F1でシートが得られない場合引退を余儀なくされることになる。
「何度も言ってきたように、僕はこのF1で走り続けるつもり。
長いモーターレーシング生活の間には、良い時もあれば悪い時もあるさ。
今年だってそう。
競争力に欠けるマシンで予選を戦うのはつらいこと。
それでも予選が終わればまた決勝レースへのフィイトが湧いてくるんだ。
僕のモチベーションは決して衰えていないよ」
ただ、これまで常に帯同してきた最愛の父ジョンさんを亡くしたことでバトンにも心境の変化があるかも知れない。
その一方でマクラーレン・チームはアロンソ(フェラーリ)やベッテル(レッドブル)にも声を掛けているとのニュースが伝えられている。
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2014年08月05日

メルセデス、今後もミハエル・シューマッハとの契約継続

一時の昏睡状態からは好転したとはいえ、依然として入院が続いている元F1チャンピオン、ミハエル・シューマッハ氏について、これまで『ブランド・アンバサダー』として同氏とスポンサー契約を結んできたメルセデス・ベンツは、今後もこれを継続することを明らかにした。
これは両者の地元であるドイツの『ビルド・サンタグ』紙が報じたもので、メルセデス・ベンツの親会社であるダイムラー社のディーター・ツェッチェ会長は「彼の状態が良くなりつつあると聞いてとても喜んでいる。
われわれと彼との関係は何も変わることはない。
これまで通り彼はわれわれメルセデス・ベンツのブランド・アンバサダーであって、これについて変更することなど一度も考えたことはないよ」と、語ったという。
表立って報道はされていないものの、シューマッハ氏のスポンサーの中には今回の事故によりすでに契約を打ち切る会社も続いているという。
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2014年07月29日

リカルド「去年までとは違うドライバーになった気がする」

2014年F1ハンガリーGPの日曜決勝で、レッドブル・レーシングのダニエル・リカルドは優勝を獲得した。

ダニエル・リカルド 決勝=1位
「今日の勝利には初優勝の時と同じくらいの喜びを感じる。今回の方が実感が湧くのが早くて、ラインを越えるとすぐに何が起きたのか理解し、すぐに喜ぶことができた。最高だったよ」
「カナダの時のように、優勝するためには他のドライバーたちを抜かなければならず、だからこそなおさら満足感を得られる。自分たちの力で戦ったと分かっているからね。素晴らしい気分だよ!」
「最初のセーフティカーは有利に働いた。そこでトップに立ち、スリックに換え、その後も順調だった。そしたら2回目のセーフティカーが出て、そこでピットインしたことでリードを失った。そのスティントをとても長く走り、レース中盤をリードしたけれど、そのタイヤで最後まで走り切れないことが分かった。それでまたピットインをしてポジションを落とした」
「勝つためにはそこからオーバーテイクしていかなければならないことは分かっていた。僕らの方が新しいタイヤをつけていたけれど、終盤にエキサイティングな展開になるだろうと思っていたよ」
「中盤、恐ろしい瞬間があったんだ。数周にわたってパワーが低下する問題があり、スイッチをいろいろと操作しなければならなかった。レースを早々に終えることになるかもしれないと思ったよ。でも何とか切り抜けられてすごくハッピーだ」
「今の環境で僕は去年までとは違うドライバーになった気がするし、ある意味、人間としてもスポーツマンとしても別人になったと感じる。自分に大きな自信を持てるようになった。すごいことだよ。このチームの一員だと感じるし、自信を得た。今年ここまでで2回の勝利を達成し、自信が高まっている」
「今週末はここにオーストラリアから何人か友達が来ているんだ。だから元々今夜は飲む予定だったんだけど、その口実ができたね!」
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2014年07月22日

ロズベルグ「特別な勝利。でも結婚に勝るものはないよ!」

2014年F1ドイツGPの日曜決勝で、メルセデスのニコ・ロズベルグは優勝を獲得した。
ニコ・ロズベルグ 決勝=1位
「今週僕にとっていろいろな出来事があったが、今日も素晴らしい一日になったよ! 勝ちたいと思ってここにやってきて、完璧な形でそれを実現できた」
「僕のシルバーアローは圧倒的な強さを発揮した。これほど素晴らしいクルマを作ってくれたチームのおかげだ」
「レースの前には、FRICシステムが使えなくなったことで他チームにギャップを縮められるのではないかと心配していた。でも結局は今回も僕らが最速だったね」
「2回ストップの戦略で走ったが、スティント終盤はタイヤがほとんど終わってしまった状態で、とても難しかった」
「メルセデスにとっていい結果なのでとても喜んでいる。ドイツで勝ったのはとても久しぶりのことなんだ。ここホッケンハイムでの応援に感謝している。ファンが熱狂的に応援してくれた。スタートの時に(スタンドで)ウエーブをしてくれているのが見えた。すごく嬉しかったよ。次のハンガリーが楽しみだ」
「(今季4勝目、母国ドイツでの初優勝を挙げたが、今週起きた一番嬉しかった出来事は)結婚したことだ。間違いないよ。最高の気分だった。でももちろんすべてが特別だ。本当に幸運なことに、この2週間、正確に言うと1週間半の間にいい出来事がたくさんあった。すごく楽しんでいたし、今週はポールポジションと優勝も獲得した。ただただ最高の気分だ。今日はものすごく特別な一日だった」
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2014年07月17日

メルセデス ロズベルグとの契約を延長

メルセデスは、ニコ・ロズベルグとの契約を延長し、複数年契約を結んだことを明らかにした。ロズベルグは2010年にメルセデスがブラウンGPを引き継いでワークスチームとしてF1に復帰した際にチームに加入し、今年で5シーズン目を過ごしている。
2012年の中国GPで、ロズベルグはメルセデスにとってF1復帰後初のポールポジションと優勝をもたらしている。更に彼は同チームで優勝5回、ポールポジション7回を獲得している。
「現代のシルバーアローをドライブすることを非常に誇りに思う」と、ロズベルグは語った。「ドイツ人として、メルセデス・ベンツは非常に特別なんだ。世界で最も素晴らしい自動車ブランドを代表することができて光栄だよ。今のポジションにたどり着くまでの道のりは厳しかったけれど、全員が信じ続けてきた。メルセデス・ベンツの素晴らしいサポートのおかげで今、僕たちはF1をリードしている」
「組織やマネージメント、将来性を構築しながら、これまでに大きな進歩を果たしてきた。僕たちは素晴らしいチームだから、どのレベルでもいい人材が揃っていると確信している」
「今後数年間を楽しみにしている。もっと多くのレースで優勝できるように、そしてチャンピオンシップを獲得できるようにプッシュし続けるつもりだ」
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2014年07月15日

ロズベルグ、シボルト嬢と結婚

 今年のF1チャンピオン争いをリードしているニコ・ロズベルグが、長く交際してきた恋人のビビアン・シボルト嬢と結婚したことが分かった。
 ふたりは先週末、ロズベルグの自宅があるモナコで結婚式を行い、晴れて夫婦となった。
 ドイツのBild紙によれば、29歳のロズベルグとインテリアデザイナーのシボルトは、8月に南フランスの教会で結婚祝いのセレモニーを行う予定だという。
「天にも昇る気分だ」とロズベルグは自身のSNSでコメント。
「僕らの結婚の日を親しい友人や家族と一緒に過ごすことは本当に特別だったよ」
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2014年07月14日

シューマッハの容態改善、夫人「徐々によくなっている」

ミハエル・シューマッハ夫人のコリーナさんによると、先月からスイスの病院でリハビリを行っている7度のワールドチャンピオン、ミハエル・シューマッハの容態が「徐々によくなっている」という。
 シューマッハは昨年12月末、フランス・アルプスでスキー事故に遭い、頭部に重傷を負って人工的な昏睡状態におかれた。グルノーブル大学病院に170日間入院したあと、昏睡状態を脱したシューマッハはスイスの病院に転院し、リハビリを開始している。
 コリーナ夫人はドイツ『ノイエポスト』に対し「徐々によくなっている。確かにゆっくりではあるけれど、改善している」と語った。
 3週間前、シューマッハのものとされる医療記録が6万スイスフランで売りに出された件については、何も語られなかった。
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2014年07月13日

サインツ・ジュニア ケータハムとの交渉を認める

レッドブルジュニアドライバーのカルロス・サインツ・ジュニアは、2014年シーズン後半戦のF1デビューを目指してケータハムと交渉を行っていることを認めた。
ダムスからフォーミュラ・ルノー3.5に参戦しているサインツ・ジュニアは、トロロッソのレースシート獲得が最大の目標であるものの、経験を積むために他チームからの参戦も視野に入れていると述べている。
「交渉を行っていることは事実だけど、何も決まっていない」と、サインツ・ジュニアはスペインのAS紙に語った。
「目標はこれまでと同じ、将来的にトロロッソに入ることだから、何も影響はないよ。もしそうなったら、ケータハムに行くことになる。今年、レースに参戦することも可能だったけれど、でもそれはレッドブルが決めることなんだ。彼らとケータハムが利益を得る必要があるし、合意に納得しなければならない」
今シーズン中のF1参戦が実現した場合でも、サインツ・ジュニアはシーズン末までフォーミュラ・ルノー3.5に参戦し続けるつもりでいる。
「フォーミュラ・ルノー3.5シリーズを制する素晴らしいチャンスがあるし、レッドブルドライバーとして初めてチャンピオンになることを楽しみにしている。何が起きても今シーズンを終わらせたいよ」
レッドブルは過去にもジュニアドライバーを他チームからF1に参戦させており、2011年シーズン途中からダニエル・リチャルドをHRTからF1デビューさせている。
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2014年07月08日

ハミルトン「ロズベルグと戦えず残念だが母国優勝は最高」

2014年F1イギリスGPの日曜決勝で、メルセデスのルイス・ハミルトンは優勝を獲得した。

ルイス・ハミルトン 決勝=1位
「母国のファンの前で優勝することができ、これほど嬉しいことはない。イギリスのファンは本当に素晴らしい。昨日(の予選で)はがっかりさせてしまったけれど、それに耐えてくれた皆に心からお礼を言いたい」
「サーキットを周回する間、どこを走っていても応援してもらえるというのは本当に最高の気分だ。僕は絶対にあきらめないと言ったけれど、厳しい予選だったし、今朝ポジティブな気持ちに戻るためには努力が必要だった」
「僕の後押しをしてくれた家族やファンに心から感謝する。皆がいなければこの結果を出すことはできなかった」
「レース序盤、ニコ(・ロズベルグ)は大きなギャップを築いていたけれど、僕は攻め続け、満足いくペースを発揮できていた。ファーストスティントを伸ばして、プライムタイヤに交換した後、自分でも信じられないようなペースで走り、ニコとの差を縮めていった」
「その後、彼にトラブルが起きてマシンを止めるのを見た。チームにとって残念なことだし、僕だってチームメイトが脱落するのを見たくなんかない。僕はいつだって最後まで戦うことを望んでいるんだ。でも僕らは今後また戦うことになるはずだよ」
「ジェットコースターのような週末だった。昨日のことを考えると、今日優勝を手にすることができるなんて最高だ。頑張ってくれたチームの皆に感謝する。ブラックレーとブリックスワースのファクトリーはすぐ近くにあるから、彼らのためにここで勝つことができて誇りに思う」
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2014年06月25日

ロズベルグ「完璧な戦略でウイリアムズの前に出た」メルセデス

2014年F1オーストリアGPの日曜決勝で、メルセデスのニコ・ロズベルグは優勝を獲得した。
ニコ・ロズベルグ 決勝=1位
「最高の週末だった。オーストリアに戻ってくることは僕にとってすごく嬉しいことだったんだ。ホームレースのドイツで走っているような感じがしたよ。最高のサーキットで、ファンも素晴らしいし、最後にはいい結果も出せた」
「素晴らしいクルマと完璧な戦略を用意してくれたチームに感謝すべきだね。ウイリアムズの前に出るためにピットストップを早めに行うというアグレッシブな選択をして、それがすごくうまくいった」
「ブレーキを労わって走らなければならず、レースを通してそれが大きな課題だった。でもこれも完璧に成し遂げることができたよ」
「この週末を迎えるにあたっての目標はチャンピオンシップのリードを拡大することで、それを達成することができた。だから次のシルバーストンでのチームのホームレースに大きな自信を持って臨むことができる」
「ウイリアムズも素晴らしい仕事をしたね。今日、2番目のチームは彼らだった。おめでとうと言いたい」
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2014年06月19日

シューマッハー氏が意思疎通、夫人に強い反応と伊ラジオ局が報道

【ジュネーブ(スイス)19日】昨年末のスキー事故で頭部を強打して意識不明の重体に陥り、一時は生命を危ぶまれながら、昏睡(こんすい)状態を脱してリハビリのため転院した元F1王者、ミヒャエル・シューマッハー氏(45)=ドイツ=が、周囲と意思の疎通を図れる状態にまで回復していることが、19日までにわかった。同氏と実際に接した複数の医療関係者が明らかにした。
 18日付のスイスのブリック紙は、これまで入院していたフランスのグルノーブル大学病院からスイスのローザンヌ大学病院まで約200キロにわたってシューマッハー氏を搬送した救急隊員に取材。シューマッハー氏はずっと目を開けた意識のある状態で、まだ話すことはできないものの、簡単な会話にうなずくなどして意思表示をしたと伝えた。
 一方、イタリアのラジオ局は19日、転院先のローザンヌ大学病院に取材。同病院は「言葉を使っての会話はできないが、医師や家族が話しかけると、目を動かして自分の意思を伝えようとしている。特に夫人のコリンナさんの問いかけに強い反応を示している。ただ、こうした“会話”を続けると疲労が激しい」と説明した。長期の入院によって体重を20キロほど減らしていることから、十分な休養をとったうえでリハビリを開始する必要があるという。
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2014年06月18日

シューマッハーの家族が応援に対し感謝のメッセージを発表

ミハエル・シューマッハーの家族が、彼の退院のニュースを喜ぶファンに対して感謝のメッセージを発表した。
 2013年12月29日、シューマッハーはフランス アルプスのリゾート地メリベルでスキーをしている最中に転倒し、頭部に重傷を負った。彼はそれ以来、フランスのグルノーブル大学病院で人工的な昏睡状態に置かれ、回復に向けた治療を受けていた。
 しかし今月16日、彼のマネジメントから声明が発表され、すでに昏睡状態にはないこと、リハビリのためにグルノーブル病院から自宅に比較的近いスイスのローザンヌ大学病院に転院したことが明らかになった。
 このニュースを受け、F1関係者やファンらが喜びを表しており、シューマッハーのマネージャーを務めるサビーネ・ケームは17日、家族の代理で以下のような感謝のメッセージを発表した。
「皆様、本当にありがとうございます。前向きなエネルギーを持ってミハエルの回復を祈ってくださっている方々にお礼申し上げます。皆様の応援はミハエルにとって大変助けになっています」
 シューマッハーはさらなる回復に向けてじっくりとリハビリに取り組んでいくことになるため、マネージャーは彼や家族のプライバシーを尊重するよう理解と協力を求めている。
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2014年06月16日

シューマッハ 昏睡状態を脱して退院

ミハエル・シューマッハのマネージャーを務めるサビーネ・ケームは、シューマッハが昏睡状態から脱してグルノーブル大学病院を退院したことを発表した。彼は長期間にわたりリハビリテーションを続けるという。
シューマッハは昨年12月29日、フランスアルプスでスキーを楽しんでいた際に頭部を強打する事故に遭い、グルノーブル大学病院に搬送された。その後、2回の手術を経て人工的な昏睡状態におかれ、医師団が治療にあたっていた。
4月中旬に「改善の小さな徴候」が見られるという声明文を発表して以来、情報が更新されなかったが、シューマッハの家族とマネージメントは16日、彼が昏睡状態を脱してグルノーブル大学病院を退院したことを発表した。
「ミハエルは、長期間のリハビリテーションを続けるためにグルノーブル大学病院を退院した。彼は昏睡状態を脱している」と、ケームは声明文で述べた。
「彼の家族は、治療にあたったグルノーブル病院の医師団、看護師、セラピストらに心から感謝するとともに、事故現場で応急手当を行った方々にも感謝している」
「また、ミハエルの回復を願った大勢の方々にも感謝している。私たちは、それがミハエルを救ったと信じている。今後について、更なるリハビリテーションが世間の目から離れて行われることを理解していただきたい」
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2014年06月10日

リカルド「僕はF1ウイナー!当分笑顔が消えないよ」

2014年F1カナダGPの日曜決勝で、レッドブル・レーシングのダニエル・リカルドはF1初優勝を獲得した。
ダニエル・リカルド 決勝=1位
「僕はグランプリウイナーだ! 正直言ってまだ現実ではないような気がしている。レース終盤、短い時間の中でたくさんのことが起こったからね」
「僕らはずっとレースをリードしていたわけじゃないし、勝利に向かっていると理解する時間もなかった。だから実感するのに少し時間がかかる」
「しばらく3位の位置を走っていたが、すごくエキサイティングな形でこういう結果になった」
「この笑顔はなかなか消えないと思うよ! 初優勝を獲得し、表彰台に立つことができて、最高の気分だし最高の一日だ」
「メルセデスのトラブルというチャンスをつかんでこの優勝を手に入れることは重要だった。F1で勝てるチャンスは毎日訪れるわけじゃないから、絶対に逃したくなかったんだ」
「(セルジオ・)ペレスを抜いた後、ミスなく走って(ニコ・)ロズベルグのDRSゾーンに入らなければならないのは分かっていた。その後のことは、ただただ最高だ。うまく成し遂げることができてすごく嬉しい」
「セーフティカー先導のままフィニッシュするというのは少し変な感じだった。初優勝を喜ぶ前に、アクシデントに遭ったドライバーふたりが無事かどうかをまず確認したかった」
「今日僕らは1位と3位という最高の結果を成し遂げた。それに関しては喜んでいいけれど、同時にまだやるべきことが残っているのも確かだ。今日の結果によって、チームの皆は、より一層努力し、より一層向上したいという気持ちが高まるだろう。だから今後数戦、僕らはますます強くなっていくはずだ」
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2014年05月29日

ビアンキ「マルシャのF1初ポイントは“運”じゃない」

モナコGPでマルシャにF1初ポイントをもたらしたジュール・ビアンキは、今週末のリザルトがチームの純粋な進歩によるものだと述べ、決して運だけで手にしたものではないと主張した。
 ビアンキは、ギヤボックス交換によるグリッド降格ペナルティで21番手スタートを強いられたものの、完走14台と荒れたレースを9位でフィニッシュ。チームに初のコンストラクターズポイントをもたらすとともに、自身のF1キャリアにも新たな一歩を刻んだ。
 ビアンキの9位チェッカーは、ライバルが8台もリタイアしたことが影響したことも確かだ。しかし彼は前戦スペインGP以降、チームがMR03を進化させたことを強調している。
「僕らは、バルセロナテストでマシンを一歩前進させた」とビアンキ。
「それによってマシンのバランスがはるかに良くなったし、それがこのレースもうまくやれた理由さ」
「だけど、今は地に足をつけていく必要がある。ポイントを獲ったのはいいけど、幸運がなければポイント圏内にいることはできないだろうからね」
「だから僕らにはまだ改良の余地がある。今夜少し落ち着き、マシンの改善に取り組み続けていかなければならないね」
 またビアンキは、土曜日の予選でQ2進出争いができたと感じており、レースペースも今後に期待の持てるものだったと述べている。
「全員にとって大きな励みになるものだよ」とビアンキ。
「予選では、Q2進出をかけて争うことができたと思う」
 ビアンキの9位入賞により、マルシャはコンストラクターズランキングでザウバーを抜いて9位に浮上した。
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2014年05月27日

ロズベルグ「ハミルトンの勢いを止めることが重要だった」

2014年F1モナコGPの日曜決勝で、メルセデスのニコ・ロズベルグは1位を獲得した。
ニコ・ロズベルグ 決勝=1位
「厳しいレースだったけれど、2年連続でモナコGPを制することができてとても喜んでいる。最高の気分だよ。ホームグランプリで、家族や友人たちの前で勝つことができて誇りに思う」
「レースは順調にスタートし、快適に走っていたが、その後、燃費の管理を行わなければならず、ルイス(・ハミルトン)が猛追してきた。でも数周にわたってリフト&コーストをして燃料をコントロールすることができた」
「ルイスは4連勝していたため、今週末、その勢いを止めるのが僕にとって重要なことだった。それをうまく成し遂げることができたが、とても難しい週末だった」
「今回もチームがワンツーフィニッシュを達成できたのでとても嬉しい。今夜のパーティが楽しみだよ!」
ラベル:メルセデス
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2014年05月19日

ジャック・ブラバムが死去

3度のF1チャンピオン、ジャック・ブラバムが19日午前、88歳で死去した。ブラバムの家族が発表した声明文によると、彼はオーストラリア、ゴールドコーストの自宅で静かに息を引き取ったという。
「私たちにとって、とても悲しい日になりました。父が今朝、自宅で安らかに息を引き取りました」と、ブラバムの息子であるデビッド・ブラバム氏が家族を代表して述べた。「父は、誰もが夢見る結果を達成するなど信じられないほど素晴らしい人生を送りました。自らが残した驚くべき遺産とともに今後も生き続けるでしょう」
ブラバムのモーターレーシングキャリアは地元オーストラリアのミジェットレースやヒルクライムでスタートし、ヨーロッパに活躍の舞台を移した後の1955年にクーパーとともにグランプリデビューを飾った。スポーツカーやフォーミュラ2に参戦した後、1958年にF1のフルタイムシートを獲得。翌年のモナコGPで初優勝を達成すると、そのシーズンと1960年にワールドチャンピオンに輝いた。
1962年、ブラバムは自らのチーム運営に焦点を切り替える。ロータスのマシンを走らせながら自らデザインしたクルマの製作を行い、1964年、ダン・ガーニーがチームに初優勝をもたらした。1966年、ブラバムは自らのチームで3度目のF1タイトルを獲得し、チームは同年と1967年にコンストラクターズタイトルを獲得した。
1970年、ブラバムは引退とともにチームの売却を決定し、チームはバーニー・エクレストンのオーナーシップの下で更なる栄光を重ねていった。
ジェフ、ゲイリー、デビッドの3人の息子たちはいずれもモーターレーシングのキャリアで実績を作り、孫のマシューとサムは最近になってシングルシーターでのキャリアをスタートさせている。
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2014年05月13日

ハミルトン「車は完調でなくロズベルグに苦しめられた」

2014年F1スペインGPの日曜決勝で、メルセデスのルイス・ハミルトンは1位を獲得した。
ルイス・ハミルトン 決勝=1位
「8回挑戦して、ようやくここで初めて勝つことができて最高の気分だ。この気持ちを言葉にするのは難しい」
「今日はメルセデス・ベンツのボスをここに迎えていたから、1-2フィニッシュを見せることができてチームにとって素晴らしい一日になった」
「自分のキャリアを振り返ってみても、これほど素晴らしいマシンに乗ったのも、ライバルたちにこれほど大きなギャップを築けたのも初めてのことだ」
「ニコ(・ロズベルグ)は素晴らしいレースをした。彼に抜かれないよう押さえ切るのは本当に難しかった。それでも何とか最後までやり切ることができた」
「今日の午後は、昨日の予選と同じ問題を抱えていた。突然のオーバーステアに見舞われてコーナーで思うように攻めることができなかったんだ。だからそこでニコに追いつかれてしまった」
「このチームを誇りに思う。僕らはとても強い。僕はすべての段階、すべての瞬間を楽しんでいる」
「でも、シーズンの終わりまでの道のりは長い。だから謙虚に努力を続け、懸命に作業に取り組んでいく」
「マシンからもう少し速さを引き出す必要がある。ニコとはものすごく接戦になっているからね。だから努力していかなければならない」
「それでも選手権をリードしているというのは素晴らしい気分だよ」
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2014年05月08日

土壇場でプロストが後ろに。セナ葬儀のエピソード

伝説的元F1ドライバーであるアイルトン・セナが1994年5月1日にF1サンマリノGPの舞台となったイモラ・サーキットで事故死してから今年でちょうど20年を迎えた。この時期、さまざまなメディアがセナの話題を取り上げているが、セナの葬儀のときに、土壇場で棺(ひつぎ)の付添人の順番が入れ替えられていたというエピソードが紹介されている。
これは、当時セナの個人的なアシスタントを務めていたベティーズ・アサンプサオがブラジルの『Agencia Estado(アジェンシア・エスタード)』に語ったものだ。アサンプサオはその後ウィリアムズの共同設立者であるパトリック・ヘッドと結婚している。
アサンプサオによれば、彼女が1994年5月5日に行われたセナの葬儀会場に着いたとき、棺を担ぐ付添人の先頭に元F1ドライバーのジャッキー・スチュワートとアラン・プロストが配置される予定になっていることが分かった。
3度F1チャンピオンに輝いたスチュワートは、セナが最大のライバルであるプロストをコース外に押し出して1990年のF1タイトルを確定させたことに対し非難を行い、そのためにセナとの関係が著しく悪化していた。
スチュワート本人も、先週イモラで行われたセナ没後20年記念イベントにおいて、『Daily Mail(デイリー・メール)』紙に対し、セナから「あなたとはもう二度と口をきかない」と言われたと語っている。
スチュワートは、その1年後にはセナとの関係は修復されていたと主張。同様にプロストとセナの確執も、プロストがリタイアした1994年にはやわらいでいたとしている。
だが、アサンプサオは、葬儀会場に着いてスチュワートとプロストが棺の一番前に位置することが分かったときにはひどい不快感を覚えたと明かした。
アサンプサオはその日、友人や家族、そして世界からブラジルへ到着したゲストらを市内からモルンビー墓地へ案内するなどして少し遅れて葬儀会場に到着した。すると、彼女を見つけた元F1ドライバーであり、セナのチームメートだったことでも知られるゲルハルト・ベルガーが駆け寄ってきたという。
「アイルトンのF1における親友であるゲルハルト・ベルガーが私のところに駆け寄ってきて『ベティーズ、何とかしろよ』と叫んだんです」
「誰かに聞いたんだが、アランとジャッキーが棺の先頭らしい。まるでF1タイトルの獲得順じゃないか!」、と語ったベルガーはさらに、「これは変えなきゃだめだ。あのふたりはアイルトンがこれまでの人生で一番嫌っていた連中だぞ」とベルガーはアサンプサオに詰め寄ったという。
「彼(ベルガー)はとても驚いて、率直にそう言っていました。私も同じ気持ちでした。胃が痛みはじめました」
そう語ったアサンプサオは、さらに続けた。
「私はすぐに墓地の門のところまで引き返しました。そこで私はジェラルド・ロドリゲスとでくわしたんです。彼はルーベンス(バリチェロ)のマネジャーで、親友でした」
「私は彼に言ったんです。信じられないわよ。ジャッキー・スチュワートとアラン・プロストが一番前になっているの。アイルトンは棺の中で背中を向けてしまうわ!」
「私の考えではゲルハルトが一番前にいるべきなのは間違いのないことでした。彼はアイルトンの全盛期のほとんどにおいて、サーキットの中でも外でもずっと彼と一緒でしたからね」
アサンプサオは、ベルガーのとなりに、やはりブラジル出身の元F1チャンピオンであるエマーソン・フィッティパルディがくるように調整を行ったという。
最終的に、プロストはフィッティパルディの後ろとなり、スチュワートはさらに2列後方に下げられた。
「私はドライバーたちがいるところに戻り、最初にどういう順序が設定されていたのかなど何も知らないふりをしていました」
そう語ったアサンプサオは、次のように締めくくっている。
「彼の友人を手伝い、何のためらいもなくその判断をした私を見て、アイルトンもきっと満足してくれたと思っています。彼もそういう人でしたから」
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2014年05月04日

セナの父が語っていた“ミナルディ入り”の計画

アイルトン・セナの父親、ミルトン・ダ・シルヴァは、F1で走る息子のレースに常に帯同していた。最後の2シーズンは健康面の問題でそれは叶わなかったが……。
 ミルトンのサーキットでの居場所は、マクラーレンのホスピタリティブースではなく、ミナルディのそれだった。
「サーキットでちゃんとしたパスタが食べれるのはここだけだからな」
 そう言って彼は、ミナルディのホスピタリティでくつろぎ、息子にパスタをご馳走するため、シェフに作り方を聞いたりしていた。
 そのミルトンは当時、こんなことも言っていた。
「いつかアイルトンが引退する時が来たらね、私たちは決めているんだ。ラストシーズンはミナルディで走るって。それは、アイルトンとも約束しているんだよ。ジャンカルロ・ミナルディにそれを伝えて、度肝を抜いてやるんだ。だってこんなにたくさんパスタをご馳走になっているんだから、せめて無償で1年走るくらいのお返しをしないとならないよ」
 ミルトンは冗談を言っていたわけではない。アイルトンもこの計画について、のどかな日にこの計画を語ってくれた。「フェラーリがどんなに驚くか、想像できるかい?」と付け加えて。
 アイルトンはフェラーリに加入することも決まりかけていた。90年代初頭のことだ。 
「(チェザーレ)フィオリオから来季について接触があったんだ。でも、それを望まない“誰か”がいて、契約を諦めなければならなかった。フェラーリ移籍が決まりかけていたと書いてくれて構わないよ」
 アイルトンのフェラーリ入りを望まなかったのは、もちろん当時フェラーリにいたアラン・プロストだ。プロストはフィオリオの動きを封じ、91年5月にはチームから追い出した。もしこの移籍話が成功していたら、アイルトンはフェラーリに加入していたはずだ。しかし、当時のフェラーリは史上稀に見る低迷期。移籍話が破たんしたことは、アイルトンにとってはある意味良い事だったのかもしれない。
 サーキットでのミルトンは決して目立つことはなく、離れた場所にじっと佇んでいるだけだった。しかし、彼はアイルトンにとってかけがえのない存在。特にプロストとの確執の際には、大きな心の支えとなっていた。
 1994年の5月にアイルトンが亡くなって以来、ミルトンはF1との関わりを一切断ってしまった。普段はサンパウロ市内で生活をしているが、F1サーカスがブラジルGPのためにサンパウロにやって来ると、彼は街を逃げ出し、ブラジル国内のあちこちに彼が所有するコーヒー農園にでも姿を隠してしまう。テレビもラジオもない広大な農園で、ひっそりと息を潜めてF1が去っていくのを待つのだ。
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2014年05月02日

セナ追悼イベントに2万5000人。アロンソ、ライコネンも出席

 1994年サンマリノGPでのアイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの事故死から20年を迎えた今年、5月1日にイタリアのイモラ・サーキットで追悼イベントが行なわれた。
 マクラーレンで1990〜92年シーズンをセナとともに過ごし、ラッツェンバーガーと同郷のゲルハルト・ベルガーをはじめ、リカルド・パトレーゼ、アンドレア・デ・チェザリス、ピエルルイジ・マルティニ、イワン・カペリ、エマニュエル・ピロ、ルカ・バドエル、ヤルノ・トゥルーリら、往年のイタリア人ドライバーも勢揃い。また、フェラーリからはペドロ・デ・ラ・ロサ、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネンが参加した。
 平日の開催にも関わらず、会場には朝早くからイタリア人やブラジル人のファンが訪れ、約2万5000人もの来場者数を記録。また、報道関係者もイタリアメディアを中心に各国から約100人が集まるなど、会場全体が騒がしいぐらいの賑やかな雰囲気に包まれていたのが印象的だった。
 ガレージには、セナと旧知の仲として知られるカメラマン、キース・サットン氏が収めたセナとラッツェンバーガーの写真が飾られ、ロータス97TやマクラーレンMP4/4をはじめとした、セナが駆った歴代のマシンも展示。イベント終了まで、多くのファンでごった返していた。
 快晴の空の下行なわれた追悼セレモニーでは、グランドスタンドからコースを一部開放し多くの一般参加者がタンブレロに集結。音楽隊によるパレードが終わり、カメラマンと一般参加者で揉みくちゃになる中、続々とゲストが登壇すると、時折「オーレー、オレオレオレー、セーナー、セーナー」の大合唱や大きな歓声も上がる。
 イベントに出席したベルガーは、「アイルトンとは同世代だったし、私の親友だった。いくつもの素晴らしい思い出がある。20年前に起きたことは悲しい思い出でもあるけど、こうして皆が集まってこの日を迎えることができて、きっとアイルトンも喜んでいると思う」と語った。またライコネンは、「F1にとって(1994年サンマリノGP)は悲劇の週末となってしまったけど、(この日集まった)彼らとの素晴らしい思い出を皆で共有できて良かった」と話した。
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2014年05月01日

「セナはフェラーリでキャリアを終える予定だった」とモンテゼモロ会長

フェラーリ会長ルカ・ディ・モンテゼモロは、1994年にアイルトン・セナが亡くなる直前に将来の契約について合意していたと語った。
 セナは1984年にトールマンでF1デビューを果たした後、ロータスを経て、1988年から1993年までマクラーレンに所属、3回タイトルを獲得した。1994年にはウイリアムズに移籍したものの、第3戦サンマリノの決勝中にクラッシュを喫し、命を落とした。
 セナの死からちょうど20年となる今年の5月1日を前に、ディ・モンテゼモロはフェラーリの公式サイト上でセナにまつわるエピソードを語った。
 ディ・モンテゼモロは94年サンマリノGPの4日前にセナと話をし、フェラーリへの移籍に関する意志を確認していたと語った。
「彼はフェラーリに来たがっていたし、私も彼をチームに入れたいと思っていた」とディ・モンテゼモロ。
「サンマリノGPのために彼がイタリア入りした際に、4月27日水曜、ボローニャの私の自宅で会った」
「電子的なドライバーエイドの過剰な導入に我々が反対の意を示していることを、彼は喜んでいた。ドライバーエイドの存在によってドライバーの技を生かせないからだ」
「我々は長い間話し込み、彼はキャリアをフェラーリで終えたいと言った。数年早くフェラーリに加入することになりそうだった」
「近いうちに再び会って、その時点での彼の契約上の義務に関する問題を解決する方法を検討しようと約束した」
「彼がその後のキャリアを過ごす場所としてフェラーリは理想的であるという点で互いの意見が一致した。彼は特異で素晴らしいキャリアを過ごしていた」
 ディ・モンテゼモロはセナのレースに対する姿勢を称賛している。
「私は常にアイルトンのレーシングスタイルを高く評価していた」
「偉大なるチャンピオンは誰もがそうであるように、彼の勝利への意志は非常に強く、常に完璧を目指し、何かを改善しようと努力していた」
「予選でのパフォーマンスは極めて素晴らしく、同時に決勝での戦いも見事だった。彼は常にあらゆる手段を尽くして戦っていた」
「彼はドライバーとしては常にベストを目指すファイターだったが、ひとりの人間としては正反対の性格だった。セナは優しく控えめで内気な性格だったのを覚えている」
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2014年04月30日

セナ没後20年にイモラで大規模な追悼イベント

 フェラーリは、今週イモラで行われる故アイルトン・セナの追悼イベント「アイルトン・セナ・トリビュート1994/2014」に、フェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンが出席することを明らかにした。
 マクラーレンで3度タイトルを獲得したセナは、ウイリアムズに移籍した1994年、第3戦サンマリノGPの決勝中、コースアウトを喫してクラッシュ、命を落とした。前日にはロランド・ラッツェンバーガーも事故により死亡している。
 今年の5月1日はセナが亡くなってからちょうど20年となるため、イモラで5月1日から4日間にわたり追悼イベントが開催される。
 期間中は追悼レース、コンサート、チャリティなど多数のイベントが行われるが、1日午後の追悼式にアロンソとライコネンが出席することが発表された。
「セナはすべてのドライバーにとっての基準となる存在であり、間違いなくその時代のベストドライバーだった」とアロンソ。
「彼の素晴らしいところは、勝利への意志の強さだ。記録を見ればそれは明らかだ。彼は常に最後の最後まで戦い、それによって仲間たちからの尊敬を勝ち取り、現在、伝説的な存在となったのだ」
「当時僕はまだ子どもで、スペインではテレビでF1を放送していなかった。それでも父がファンだったことがきっかけで、彼の存在を知った。僕が初めて乗ったカートには彼のマシンと同じカラーリングが施されていた」
 ライコネンは「セナの死はF1界においてとても悲しい出来事だった」と述べている。
「当時僕はまだ学校に通っていて子どもだったから、彼のことはあまり覚えていない。それでもあの日のことは記憶にしっかり残っている。彼は偉大なドライバーであり、その後のドライバーたちの指標となる存在だと思う」
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2014年04月16日

奇跡的!シューマッハー氏、意識回復「周囲の環境に反応を示す」

昨年末のスキー事故で頭部を強打し、一時は命を危ぶまれた元F1王者ミヒャエル・シューマッハー氏(45)=ドイツ=が意識を回復した。サビーネ・ケーム代理人が15日、ドイツのARDテレビで明言。順調に回復すれば、入院しているフランスのグルノーブル大学病院からリハビリ専門の施設に転院する予定も明かした。
 同代理人は「わずかながら周囲の環境に反応を示すまでに症状が改善してきた。家族はとても喜んでいる」と説明。まだ話すことはできないものの、検査や病室内での声に対し目を動かすなどの反応を示している。
 意識不明の重体から驚異的な回復だ。2度の開頭手術後は脳の腫れを抑えるために低体温を保ち、人工的な昏睡状態に置かれた。1月末から始まった段階的に麻酔を弱めて覚醒させる治療が奏功した。同代理人は今後について「どんな名医でもどこまで回復するかは明言できないが、リハビリ施設で日常生活が営める程度にまで回復できればと考えている」と発言。奇跡的な回復を遂げる可能性を口にした。
 ARDテレビは昨年末に一緒に滑っていた長男のミックくん(15)が先週末、イタリアでのカートレースで初優勝したと報道。国際大会初Vを父親にささげたと伝えた。
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2014年04月09日

ハミルトン「勝てて安堵した。ロズベルグの方が速かった」

 2014年F1バーレーンGPの日曜決勝で、メルセデスのルイス・ハミルトンは優勝を獲得した。
ルイス・ハミルトン 決勝=1位
「信じられないような一日になったね。今夜のレースは本当にタフだったから、最後に優勝をつかむことができて喜んでいる。こんなレースをしたのは久しぶりだよ!」
「今週末は最初は好調だったけれど、予選でも決勝でも僕のペースは最高といえるものではなかった。いいスタートをする必要があることは分かっていたし、1コーナーにトップで入ることが今日のレースの重要な要素となった」
「その後はすごい戦いになった。ニコ(・ロズベルグ)は最高の走りをした。正直言って、今日はペースでは彼の方が勝っていたけれど、なんとか押さえ切ることができた」
「セーフティカーが出動した時、ニコがオプションタイヤに換えて速さを発揮するだろうことは分かっていた」
「彼の前のポジションを守り続けるのは本当に難しく、無事フィニッシュした時には本当にほっとした」
「チームメイトと戦っていると、プレッシャーは本当に大きいし、ふたりともチームと選手権のためにきちんとフィニッシュしなければならないことは分かっていた」
「チームが僕らが戦うことを許してくれた。今夜のショーをファンの皆も楽しんでくれたんじゃないかな」
「チーム全員、特にレース中ずっと情報を伝えてくれたエンジニアたちに心から感謝したい。それから懸命に努力してくれているサーキットのスタッフ、ファクトリーのスタッフにお礼を言いたい」
「今回も1‐2フィニッシュができて最高の結果だ。今日僕はF1での24勝目を達成し、(ファン・マヌエル・)ファンジオに並ぶことができた。とても誇りに思う。彼はF1の歴史の中で最も偉大なレーサーのひとりだからね」
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